先を読みすぎる 症候群

 

 

 

 半年...

いや、もう少し前だろうか。

 

わたしは 極度の「 先を読みすぎる 症候群 」だった。

 

ほんとうに、

この上もない というほどにまで、「 先読み 」や 「 全体の流れ 」を気にしすぎたおかげで

 

毎日、自分の好きなことをして 生活しているはずだったのに、

全くと言っていいほど

楽しいことが なに1つ見当たらない 時期があった。

 

むしろ

未来への過剰な不安や、それに伴った 焦り。

 

心慌意乱 という四字熟語では、

到底、言葉の表現力 が足りない と思うほど

 

わたしの心は

骨ばった指をした、爪の長い 魔女の手によって

鷲掴みにされているように、

 

息を吸うことすら ままならないほど

焦り 慌て、さらには 怯えていた。

 

 

当時の わたしの心は

その得体の知れない “ 何か ” によって、入り乱され 混乱するのに、 

さほど 時間を要しなかった。

 

 

 

でも ある時、

電車の中で、目の前の座席に座る 全員が

スマホを片手にしている姿を見て、

ハッとした。

 

スマホが普及した 現代、

すっかり当たり前になっている この光景が

 

わたしに

“ あること ” を気づかせたのだった。

 

 

「  7年前、

当時 高校1年生だった わたしは、

初めて 携帯を買ってもらった。

 

あの頃も、同じように 電車に乗って

今 目の前に広がっている光景と、全く同じものを見ていた気がする。

 

座席に座っている全員が、

携帯を片手にしている。

 

ただ、何かが違う...。

 

そうだ。

 

ガラケー ” を片手にしていた人たちが、

今や 全員、“ スマホ ” を片手にしているではないか。」

 

これに気づいたとき、

 

それまで、幾度となく涙を流し

悩みに悩んできた 数ヶ月間を、

完全に「 無駄な時間 」としてしまったことが判明した。

 

 

 

と、同時に、

無限に広がる 未来への 明るい光 を求めるどころか、

 

深くて 真っ暗な 海の底に

ひとり、もがきながら 沈んでいくようにと、

 

自らの “ 生きる背景 ” を 変えてまでして

自身を貶めてしまっていたのが、

 

他の誰でも、もちろん 運命でもなく、

紛れもない “ 自分自身 ” だったことに 気づいた。

 

 

わたしには、

自分の手で 守らなければ ならないもの がある。

 

それは、半年前も 今も変わらない。

 

あの頃は、それに対しての想いが 強かったからこそ、

自らの「 心に思い描く夢 」との 両立 が

不可能 にしか思えなかった。

 

そして

それと似たような道を、難なくクリアしていこうとしている、

当時のわたしから見たら

“ 恵まれた環境 ” を持ち合わせている人が、

羨ましくもあり、妬ましくもあった。

 

 

そんな風に

心が狭くなってしまっている状態だから、

 

当然だけれども、

自らの 意志 で選択した事柄ですら、

好きなこと、やりたいこと であるはずなのに

集中できなくなってしまい、

 

負のサイクルに 引きずり込まれていってしまった。

 

今となっては不思議だが、

 

あの頃は、とにかく 自分に降りかかる全てが

悲しく、残酷なものにしか見えなかった。

 

 

 

次のblogにつづく✏️

 

 

 

 

 

 

 

夜陰

 

 

 

あれから

どれぐらいの時間が経っただろうか。

 

全くの無意識で、

 

シャワーの設定温度を

いつもと比べて、はるかに高く設定した わたしは、

狭いお風呂場の壁に 背をもたれた。

 

強めの水圧と 60度に設定されたシャワーは、

わたしの身体に 幾度となく矢を放つ。

 

そして

目線の先にある すっかり結露した 扉は、

少しずつ 目に涙を浮かべて

それを ゆっくりと頬につたわせていった ...

 

 

しかし、

その 頬につたわっていった涙を

わたしは 最後まで見届けることができなかった。

 

鼻が ツーンとするような感覚に襲われ、

じわじわと 視界に濃霧がかかる。

 

そして

その事実に気づかせまいと、

熱いシャワーが わたしの頬をとらえた。

 

なんだか、生きているというより

死んでいるような気がした。

 

 

こういう記憶の断片が、

果たしてほんとうに

自らの身に、心に、起こったことだったのか

 

それとも

昔見た、一夜の夢の映像を、

わたし自身が 脳裏に蘇らせただけだったのか

 

このblogを書いている 今となっては、

そこまで重要ではないような 気もする。

 

 

なにより、

救いがたい 絶望の淵に沈むことを 強いられた

わたしは、

 

風前の灯火のような 原始的な本能を

 

この絶望の淵から どうやって這い上がるか

という一点に、今、集中せざるを得なくなっている。

 

 

が、それと同時に

 

この最大の悲劇を、客観的視点から

冷酷な目で観察することをしているのもまた、

わたし自身なのである。

 

 

 

 

 

2頭のメス ライオンの話

 

 



ある動物園に、
2頭のメス ライオンが暮らしていました。


その2頭は いつでもどんな時でも一緒で、

太陽が昇るのも、太陽が沈むのも、
どんな景色を見るときも

その2頭は 必ず、
肩を寄せ合うようにして 隣に座っていました。


そんなある日、

急遽 1頭のライオンが

別の施設へ移動することが決まり、

園内が 寝静まった夜

1頭のライオンは

いつもの檻の中から 忽然と 姿を消しました。


朝になって、
いつものように 目を覚ました
もう1頭のライオンは、

いつも側にいた 相方のライオンを探します。


檻の中を 何度も何度も、くまなく探し
声が出なくなるほどまで 相方の名前を呼び続けました。


でも、


別の場所に移動された ライオンが

そこに居るはずもなく、

 

残されたライオンは、

居なくなってしまったことを 後から知らされます。

 

そして

全てを知ったライオンの心に残ったのは、

悲しみと 孤独感 だけでした。


心にポッカリ空いてしまったその穴は、

残されてしまったライオンの 心だけでなく、
身体までをも 蝕みます。


そして、

残されたライオンの瞳に
次々と浮き出してくる 大粒の涙は、

かつて 相方が座っていたお気に入りの場所に、

相方のかすかな残像を 映し出していました。

 

 

 

 

人間とは、何か

 

 

 

自らの受けたインスピレーションを、

“ 言葉 ” を用いて “ 表現 ” すること こそに

趣があると感じている、今日。

 

そのきっかけとも言える、

興味深い資料を 発掘した。

( 隠していたわけではないが... 笑 )

 

その たくさんの資料の中に

とりわけ、わたしに対して 強く主張してくる 1つのファイルがあった。

 

『 人間とは、何か 』

 

と題してあり、

「 夜と霧 」という本とともにあった。

 

この本は、

第二次世界大戦中に ナチスに囚われた 心理学者、ヴィクトール・E・フランクルによる

 

生身の体験者の立場で「 内側から見た 」強制収容所

知られざる 収容者の受難 を語ったものだ。

 

 強制収容所での地獄絵図は、これまで 描写されることが多かったが、

この本は、おびただしい小さな苦しみを描写し

 

収容所での日常が、ごく普通の被収容者の魂に

どのように映ったかを問うている。

 

 

以下は、

わたしが 13歳 中学1年生のときに

夏休みの宿題で書いた 読書感想文の一部だ。

 

言葉の選び方に、まだ可愛らしさはあるが、

 

あれから 10年という月日を経ても まだ、

色褪せることなく わたしの心に響く“ 何か ” が

そこには存在していた。

 

 

 

 

「 夜と霧 」を読んで。

 

 

第二次世界大戦

ナチスに囚われ、アウシュビッツ強制収容所に送られ

ガス室で殺される恐怖を絶えず味わいながらも、終戦を迎えることのできた人に、

 

精神科医の ヴィクトール・E・フランクルがいた。

 

これは、

強制収容所での 過酷な労働、理不尽な虐待や暴力、飢えなどに 耐えた人々の苦しみを、

精神科医の目で 描写した体験記だ。

 

( 中略 )

 

文中、フランクル

「 人間とは、常に 何か を決定する存在だ 」
と書いている。

その「 何か 」とは、
様々な状況における「 気持ちの持ちよう 」ではないかと思った。

苦しみの中でも「 希望 」は見出せるし、
苦しみにでも「 意味 」を持たせることができるのだから。


気持ちの持ち方は、各自 思いのままだ。

何かをするとき、

気持ちよく笑顔でする「 自由 」もあれば、
不平不満の心でする「 自由 」もある。

全ては、私たちの選択自由ということになる。


「 人間 」は 人間である限り、
必ず何かの条件に縛られている。

もちろん、どうすることも出来ない事はある。

しかし
それでも明るく前向きに生きる人もいれば、
悩み苦しみながら生きる人もいる。

 

「 人間 」にだけ与えられた感情に、

「 笑う 」というものがある。

 

明るく前向きに生きるための第一歩は、

「 笑顔 」だと思う。

 

わたしの名前は「 ○○ 」、

「 笑み 」には「 ほころぶ 」、つまり「 咲く 」という意味がある。

 

花は置かれた場所に関係なく、

ただひたすらに咲く。

 

わたしも 我慢しなければならない状況におかれても、

不平不満を言わず、花のように ただひたすらに咲いていたい。

「 笑顔 」でいたい。

 


気持ちの持ちようは自由だ。

その「 自由 」の使い方が、
「 私 」を作っていくのだ。

わたしは 学んだ。

「 人間 」とは、弱いけれども
自分の姿を 絶えず決定していく存在なのだと。

 

小物への、気づかい




『 その人の服装や 持ち物は、口ほどにモノを言う 』



こんなことを感じた経験、
誰しも1度はあるはず。


服装はもちろん、
身につけているアクセサリー、
持ち物である カバンや その中身。


これら “ その人に属するモノ ” は、

意外と、その人について
数多くのことを語る。


1番分かりやすい例としてあげられるのが
やはり、 “ 車 ” だろう。


艶々な黒塗りのベンツ、

真っ赤なスポーツカー、

真っ白なオープンカー

... などなど。


それぞれ、どんな雰囲気を持ち合わせた 乗り手なのかは
比較的、容易に想像できる。


また、

こまめに洗車されているかどうか や、
中に置いてある小物を見れば、

ますます イメージを掴みやすくなる。



こんな風に
実は、“ 自分を取り巻くモノ ” は

実際に話をして
どんな考え方の持ち主なのかを知る前から、

「 感覚 」や「 知性 」、
ライフスタイルや 交友関係 までをも

自ら公表しているつもりがなくても、
目の前にいる相手に、ペラペラと喋ってしまっているのだ。

 

 


ある本で読んだ 面白い話を、ここでひとつ。



とある企業の社長が、
高級ホテルに宿泊するときのこと。

こちらに ご署名をお願いします 」
と、宿泊サインの際に 手渡されたのが

コンビニでも売っていそうな
プラスチックのボールペン🖊だったので、

連泊するところを 1泊のみにして、
別のホテルに移動した。

というお話。



この社長は、

「 高級ホテルを謳っていながら、


大事な宿泊サインをさせる際に
安物のボールペン を差し出しても平気な神経であるならば、

滞在中のサービスの品質も 期待できない 」

と言ったという。



つまり ボールペンたった1本から、

仕事への姿勢や、顧客への考え方、配慮、
“ おもてなし度 ” をも 見抜いたというわけだ。


わたしたちに言わせれば
たかがボールペン1本 かもしれないが、

持ち物へのこだわりが強く、

その モノ の、質やテイストまでをも気にする人は、
安物ボールペン に我慢しない。


そういう人たちは、

契約時に 顧客に差し出す筆記具は
必ず “ モンブラン ” だったりするという。


顧客の、信頼感や 満足感を得るために、
サインする 万年筆のことまで考えるのだ。


ここに、小物への気遣いがあり、

結果的に、それが 周囲に対して
どんな気遣いがあるのかどうか にまで

繋がっていくのだと感じた。



そういえば、

わたしの父親
母から送られた “ モンブラン ” を
普段から愛用しているし、


10年くらい前?、
何でもない日に突然、「 日頃の感謝 」で
父が 母に送ったプレゼントには、


文具界の雄 とも呼ばれている
“ パーカー ” を選んでいた。


ツイスト方式で 芯が出されるタイプで、

母の優しさを表すような、
美しいピンクゴールドの色が 印象的だった。


父と母、お互いが、
お互いのことを考えながら 送りあったモノ。

そこには、娘のわたしでさえ分からない
「 気遣い 」があり、

言葉では表すことのできないメッセージが
含まれているんだと思う。

 






人への、気づかい

 

 



『 人 』としての お話。




成田空港 を利用することの多い わたしだが、

成田空港行きの電車の中でも、
もちろん空港内でも

当たり前なんだけど、

まわりを見渡せば、9割方が 外国の人。


右に座っているのも、外国の人。
左に立っているのも、外国の人。

目線を上げても、後ろを振り返っても、
あっちもこっちも、背の高い 外国の人。


(笑)

まるで自分が

海外に 旅行に来たような気分になるほど。

 


そんな成田空港は、わたしにとって
実は 心温まる シチュエーションの多い場所でもある。

 


電車から降りるとき。

エスカレーターに並んでいるとき。

はたまた、
スタバで 思いを巡らせているとき。(笑)


そこには、“ After you ” の
心温まる【 気づかい 】が、常に存在する。



彼らの振る舞いは、

 

とても自然で、且つ 丁寧で、堂々としている。

そして何より、smile😊 を欠かさない。


そのスマートで ダンディな振る舞いは、


わたしの心に
「 大事に扱ってもらっている 」という
一種の安心感のようなものを生ませ、

そして、胸に手を当て
心から「 ありがとう 」と言いたくなるような、


どこか 幸せな気持ちにさせてくれる。



「 紳士的な振る舞い 」として、

現代では、マナーの一環としても定着してきた
「 レディーファースト 」。

 

 

そもそも「 レディーファースト 」は、
西欧の騎士道の教えが 起源であるという。

 

武力を持ち、戦いとなれば
人の命を奪うような立場でもある騎士。

 

せめて平時には、
人よりも 立派に礼節を保ち、弱者をいたわるべし とされ、


その中でも 女性は、
「 かよわき存在 」として、真っ先に いたわる決まりになったのが、


「 レディーファースト 」の始まりだという。

 

 

その後 時代が進み、

「 紳士として、常に女性を優先するような
優雅な 態度 」
として定着してきたのが、

 

今の わたしたちの よく知っている

「 レディーファースト 」だろう。

 

 

グローバル化 が進み、


身につけておくべき “ 当たり前のマナー ” 、
守るべき “ 不文律 ”

 

と され始めている「 レディーファースト 」。

 


マナー本 なるものが
書店の棚を埋め尽くす中、


シャイな国民性 と言われている日本人は、

 

「 レディーファースト 」の形式的なことばかりを 気にしてしまっているような気がする。

 
日本は文化が違う、
シャイだから 相手に好意的な行動ができない、

助けてあげたいけど
気持ちをうまく表せない、

などなど。


ただの、
“ 思いやり不足 ”と “ 表現下手 ” なだけと思ってしまうのは、わたしだけだろうか。

 


「 レディーファースト 」を例にとって
ここまで話してきたけど、

これは 決して、
男性に限ったことではないと わたしは思っている。

 

 

例えば。

自分の母親が、両手に抱えられないほどの
重そうな荷物を持っていたら。


その荷物を持ってあげたり、
通りやすいように ドアを押さえておいてあげたり、

少しでも助けようと、
“ 誰しも ” が 思うはず。

 


そこには、
『 こうしなくちゃいけない 』というような
“ 義務的な気持ち ” は一切表れない。

 


『 こうしたほうが、相手が助かるんじゃないか 』
という、

単純だけど、とても素直な気持ちが存在する。

 


その素直な気持ちが、

【 気づかい 】という花を 咲かせるための種だということを、忘れてはいけない。

 

あとは、
気づけたら 表現するだけ。

 

表現にルールなどは 存在しないのだから、

どうせやるなら丁寧に、
そして 堂々と振る舞おう。

そして、最後に 隠し味として
ありったけの笑顔 を追加しよう 😊😊


そうすれば、
わたしたちの気持ちは
より強く、且つ スマートに 相手に伝わるはず。

 

 

そして、


わたしたちの

どこからか 不思議と にじみ出てくる「 余裕 」に繋がっていくのだと思う。

 
「 人を助けることを 惜しまない 」その心は、

“ 相手を気遣う表現力 ” として
必ず、後天的に身につけられるもの。


わたしだって前までは、恥ずかしくて
電車で席を譲れなかったし、

前を歩いている人が 何かを落としても
あっ... って言って終わっていた。


でも、

相手を尊重し、大事にする
【 さりげない気遣い 】を受けたことにより、

わたしも自然と意識するようになった。



一歩引いて、他の人を優先する大らかさ、

たとえ自分が 脇に回ったとしても
相手を立てることのできる懐の深さ、

手を貸すべきタイミングを見る
視野の広さ。


これらは、

仕事上での「 わたし 」はもちろん、
プライベートでの「 わたし 」をも

自信に満ち溢れたものとし、
そこに洗練さをプラスしてくれた。

 


“ 還元 ” って、なんてステキなんだろう 😌😌





名前



 

名前。


それは、わたしたち人間が

 

『 それぞれの存在を、
“ 個別 ” に把握するべきもの 』

 

と認識したときに、
与え、与えられるもの。

 

つまり、

『 他とは 全く違うものとして、
“ 区別 ” する 』

ことを言う。

 

 

そして それは、ほとんどの場合が


『 お父さんお母さんからの
最初で最後の、“ 最大 ” のプレゼント 』

 

である。

 


赤ちゃんが
まだお母さんのお腹にいた時は、

2人で、1つの名前を使っていて。

その時はまだ、
お母さんの名前を 名乗っていた。

 

生まれてはじめて、

お母さんとは切り離された存在 として、
1人の人間だと認められる。

 

そして、その瞬間
『 名前 』という 素敵なプレゼントを受け取ることになる。

 


お父さんとお母さんが、

たくさん、ほんとうに たっくさん考えて

与えてくれた『 名前 』。

 

もしかしたら、
お母さんのお腹の中にいるときから
考えてくれていたのかもしれない。


自分の赤ちゃんには、
この漢字を使ってあげたい、

こんな子になって欲しい、
将来、こんな風に輝いて欲しい、

 

そんな、
たくさんの夢と希望の詰まった

わたしたちの『 名前 』。

 

 

楽しくて、とにかく笑顔のときも、

壁にぶち当たって
もがき苦しんでいるときも、

常に わたしたちのとなりに、
そっと寄り添ってくれる。

 

そして いつの日か、

お父さん お母さんと
お別れしなければいけなくなった その時も、

 

わたしたちの肩に、
そっと手をかけてくれているはず。

 

そして

大切な人を失おうとも、
残酷にも ただただ続いていく

わたしたちの歩む人生において、

共につまずき、共に行き詰まり、
そして 共に進むことになる。

 

 

名前って、
なんて素敵な贈り物なんだろう。

 

わたしは、ほんっとうに 自分の名前が大好き。

 

これから先、
まだまだ長いであろう人生。

 

名前負けだけは 絶対にしないように、

 

そして、

お父さんお母さんを大事に生きていく。