予測不可能、だから面白い

 

 

 

 

「 普通でいればいいのに。」

 

この言葉を、22年間生きてきて

複数回 耳にしてきた。

 

 

“ 普通 ” って、何だろうね。

 

赤 が好きな人もいれば、

青 が好きな人もいる。

 

ジャンクフード を食べたい人もいれば、

オーガニックな物しか 口にしない人もいる。

 

自分の好きなことをして 生きている人もいれば、

自分の好きなことのために 頑張って生きている人もいる。

 

 

同じ場所を歩いていたとしても、

 

スニーカーの人、ヒールの人、革靴の人、

足を引きずる人、肩で風を切る人、

 

スクランブル交差点のごとく、

全てが混在していて ほんとうに様々だ。

 

どれが普通で、どれが特異かなんて、

これっぽっちも分かりゃしない。

 

 

“ 普通 ” という言葉の意味として、

 

「 特に変わっていないこと、ありふれたものであること、それが当たり前であること 」

 

が あげられている。

 

たしかに。

今まで事例がないものに関しては

今までの当たり前とは「 異なった 」もの、

 

つまり、「 普通じゃない 」と位置づけされてしまうのだろう。

 

 

でも、よく考えてみて。

 

普通じゃないことをしてみる人がいるから、

新たな発見が この世にもたらされ、人類は 日々進化している。

 

 

いきなりスケールの大きな話になってしまったが、

 

もし、誰もが “ 普通 ” なことしかしなかったら...

 

「 これをしたら、この結果が出る 」という

究極につまらない、ハムスターの くるくる回る

定番のおもちゃ の様になってしまう。

 

 

もしも その結果が得たいのなら、

同じことをすればいい。

きっと、似たような結果を 手に入れることができるだろう。

 

だが、

もし そうではないのなら。

 

“ 普通 ” といわれる範囲にいても、新たなことは起きないだろう。

 

なぜなら、それ全てが 予測可能なのだから。

 

 

わたしは、自分が 予測可能になってしまったら 大問題だと思っている。

 

やっと スターティングブロックに足をかけたようなものなのだから、

ゴールが見え切ってしまっていては 面白くない。

 

予測不可能、だから面白いんだ。

 

 

何事も、挑戦し 進化するチャンスがあることは、

ほんとうに喜ぶべきこと。

 

でも大事にしなきゃいけないのは、

どのタイミングで、その「 新しさ 」を出すかどうか。

 

 

わたしは、

自分のインスピレーションを 意味あるものと思っていて、

心に吹き込まれたかのような、ふと感じる 不思議な感覚を、

自分の ちょうどいいタイミング だと踏んでいる。

 

インスピレーションを受けた瞬間を逃したら

そのチャンスは、もうとっくに走り去って行ってしまっているとさえ 思っている。

 

 

このblogを作るにあたっても

強いインスピレーションを受けたのだが、

 

この「 新しさ 」が どう評価されるのかは

これを書いている今、

 

完全に、予測不可能 である。

 

 

1週間後、

極めて破壊的な大打撃を受けるかもしれないし

意外にも、穏やかな波打ち際に 突っ立っていられるかもしれない。

 

 

どういう花が咲くか 分からない、

だから 種をまくのが面白い。

 

どういう結果が出るのか 分からない、

だから 仕掛けるのが面白い。

 

 

人間って 予測不可能でいるからこそ、魅力が出るもの。 だから面白いんでしょ。