たかが、22歳のクソガキ かもしれないけれど。「 僭越ながら 申し上げます!」

22歳、Ms.Nobody 👱🏻‍♀️ PenName✏︎ Victoria #ヴィクトリア が見る、 “ 人間性の 未聞の 高み ”

表現

 

 

 

 

「 blog📝 」という言葉を耳にすると、

大抵の人は こう、想像するだろう。

 

今日は どこに出かけた、誰と会った、

何を食べた、どう思った...

 

「 あぁ、今日あったことを書いているのね!」と。

 

 

そして、

それと同時に わたしに疑問を投げかけてくる。

 

「 毎日、仕事で 同じことの繰り返しなのに、

よく書くことあるよね。」

 

 

たしかに

朝起きて、歯を磨き、仕事に取りかかる。

 

仕事が終われば

夜ご飯を食べ、シャワーを浴び、歯磨きをして、お布団に潜り込む。

 

そうなっちゃうよね、って言わんばかりの、

絵に描いたような 1日のスケジュール。

 

もちろん 自らが望んで、この生活をしているのだから、これといって問題はないが、 

 

まさに、

型通り という表現がピッタリの生活。

 

モデルさんや 役者さんではあるまいし、

「 blog📝に書くことあるの? 」なんて聞かれても、 何一つおかしいことはない。

 

 

 

話は少し逸れるが。

 

わたしは どういうわけか、 

 

自分の “ 人間的な理性とは 切り離した、動物的な知覚 ” である「 感性 」が、

自分の中に溢れ返ってしまう状態に、度々なる。

 

それによって、「 感性 」という波に溺れ、

息ができなくなる現象にも襲われる。

 

 

「 感性 」と一括りに言ってしまったが、

 

創造的な側面も踏まえて、

あくまで “ 無自覚 ” であり、“ 直感的 ” なもの。

 

例えば、何らかに違和感を感じるように

これらは “ 非言語的なもの ” として

次々と わたしに襲いかかってくる。

 

 

以前 表現していたblog📝などは、

 

自らを奮い立たせるためであったり、

自分の中にいる、良くないイメージ を

払拭するための手段として、言葉を用いていた。

 

その頃は、

ただただ “ 言葉 ” が降りてきていた。

 

熟語1つの時もあれば、そのままフレーズで降って来るときもあった。

 

そのまま 紙にメモしておけば

言いたいことが 十二分に伝わる、

 

それくらい ほぼ完成形のものだったと言っていい。

 

 

だが、最近はどうだろう。

 

時間の流れとともに、

自分の様々な経験を通して

湧き出てくるものが 変わってきたのだろうか。

 

熟語や フレーズではなく、

頭では 到底 理解できないであろう、身体がザワザワした感じや、浮き上がる感じ。

 

どこか、

自分のリアクションを試されているかのような、感覚にさえ なる時がある。

 

 

わたしが このblog📝を使ってやりたいのは、

今日あったお話 を、つらつらと書くことではない。

 

わたし自身の身体で感じる、全てのリアクションを

嘘偽りなく、そのまま言葉として “ 表現 ” すること。

 

わたしは常に、

影響力のある「 表現者 」でありたい。