人間とは、何か

 

 

 

自らの受けたインスピレーションを、

“ 言葉 ” を用いて “ 表現 ” すること こそに

趣があると感じている、今日。

 

そのきっかけとも言える、

興味深い資料を 発掘した。

( 隠していたわけではないが... 笑 )

 

その たくさんの資料の中に

とりわけ、わたしに対して 強く主張してくる 1つのファイルがあった。

 

『 人間とは、何か 』

 

と題してあり、

「 夜と霧 」という本とともにあった。

 

この本は、

第二次世界大戦中に ナチスに囚われた 心理学者、ヴィクトール・E・フランクルによる

 

生身の体験者の立場で「 内側から見た 」強制収容所

知られざる 収容者の受難 を語ったものだ。

 

 強制収容所での地獄絵図は、これまで 描写されることが多かったが、

この本は、おびただしい小さな苦しみを描写し

 

収容所での日常が、ごく普通の被収容者の魂に

どのように映ったかを問うている。

 

 

以下は、

わたしが 13歳 中学1年生のときに

夏休みの宿題で書いた 読書感想文の一部だ。

 

言葉の選び方に、まだ可愛らしさはあるが、

 

あれから 10年という月日を経ても まだ、

色褪せることなく わたしの心に響く“ 何か ” が

そこには存在していた。

 

 

 

 

「 夜と霧 」を読んで。

 

 

第二次世界大戦

ナチスに囚われ、アウシュビッツ強制収容所に送られ

ガス室で殺される恐怖を絶えず味わいながらも、終戦を迎えることのできた人に、

 

精神科医の ヴィクトール・E・フランクルがいた。

 

これは、

強制収容所での 過酷な労働、理不尽な虐待や暴力、飢えなどに 耐えた人々の苦しみを、

精神科医の目で 描写した体験記だ。

 

( 中略 )

 

文中、フランクル

「 人間とは、常に 何か を決定する存在だ 」
と書いている。

その「 何か 」とは、
様々な状況における「 気持ちの持ちよう 」ではないかと思った。

苦しみの中でも「 希望 」は見出せるし、
苦しみにでも「 意味 」を持たせることができるのだから。


気持ちの持ち方は、各自 思いのままだ。

何かをするとき、

気持ちよく笑顔でする「 自由 」もあれば、
不平不満の心でする「 自由 」もある。

全ては、私たちの選択自由ということになる。


「 人間 」は 人間である限り、
必ず何かの条件に縛られている。

もちろん、どうすることも出来ない事はある。

しかし
それでも明るく前向きに生きる人もいれば、
悩み苦しみながら生きる人もいる。

 

「 人間 」にだけ与えられた感情に、

「 笑う 」というものがある。

 

明るく前向きに生きるための第一歩は、

「 笑顔 」だと思う。

 

わたしの名前は「 ○○ 」、

「 笑み 」には「 ほころぶ 」、つまり「 咲く 」という意味がある。

 

花は置かれた場所に関係なく、

ただひたすらに咲く。

 

わたしも 我慢しなければならない状況におかれても、

不平不満を言わず、花のように ただひたすらに咲いていたい。

「 笑顔 」でいたい。

 


気持ちの持ちようは自由だ。

その「 自由 」の使い方が、
「 私 」を作っていくのだ。

わたしは 学んだ。

「 人間 」とは、弱いけれども
自分の姿を 絶えず決定していく存在なのだと。