たかが、22歳のクソガキ かもしれないけれど。「 僭越ながら 申し上げます!」

22歳、Ms.Nobody 👱🏻‍♀️ PenName✏︎ Victoria #ヴィクトリア が見る、 “ 人間性の 未聞の 高み ”

「 今 」に集中する 〜 先を読みすぎる 症候群 ⑶ 〜

 

 

 

 

「 先を読みすぎる 症候群 」の記事は、

今回を 最後としたい。

 

 

もう少し、今までの流れを思い起こして

blogに残そうと考えたのだが、

 

道が開けた 今のこのタイミングで、

 

丁寧に過去を振り返り、

「 あの頃の自分があったから、今の自分がある 」なんて

そこら辺に 落ちているような台詞を使って、自叙伝を書き上げるつもりは、さらさらない。

 

2つ下書きしたページも、

思い起こして 言葉にすると

あまりに表現のリアリティに欠けてしまって、

あまりに ありふれた物すぎて、

全て削除してしまった。

 

過去が 今の自分を作っているなんて

そんなの当たり前で、

 

どういう形であろうが、今までの経験があったからこそ 今があるのも、

誰しもが同じ。

 

わたしは、そんな薄っぺらい表現を当てはめるほど

頭の中に生まれた余白を そのままの状態にして、日々を過ごすことはない。

 

 

 

わたしにとって「 過去 」は、

「 かさぶた 」みたいなもの。

 

過去に負った傷は

たとえ その時、血が止まらなかったとしても

 

時が経てば、

膿んだり ふやけたりを繰り返しながら

かさぶた になっていく。

 

“ かさぶたなんて、放っておけばいい ”

 

これが、わたしの「 過去 」に対する考え。

 

かさぶたなんて

放っておけば、気づかないうちに ポロッと取れている。

 

わたしにとって「 過去を振り返る 」ことは、

「 やっとできた かさぶたを、自らの手によって引き剥がす 」ことに等しい。

 

痒い 痛い を繰り返しながら

時を経て やっとできあがった かさぶたを、

 

また血が出てしまうことを分かっていながら、

なぜ 引き剥がそうとする?

 

なぜ あの頃の感情を、

わざわざ呼び起そうとする?

 

 

わたしたち人間は、

「 今 」を生きている。

 

過去でも 未来でも、

もっと言うならば、今日でもない、

「 今 」この瞬間だ。

 

たとえ目の前に、

どんなに素晴らしい世界があったとしても、

 

たとえ目の前を、

自分が掴みたかったチャンスが 通ろうとしていたとしても、

 

その時、

すくっても すくっても、手のひらから落ちていく水 のような「 過去の感情 」に 浸っていたとしたら、どうだろう。

 

あれも これも、と

「 未来 」への 不安や 焦り、恐怖に苛まれていたとしたら、どうだろう。

 

 

間違いなく

何を見ても、聞いても、感じても、

それを 深く味わうことは出来ないだろう。

 

あらゆるタイミングを感じ、

そのタイミングごとに訪れる1つ1つを 深く味わうことが出来るのは、

 

「 今 」に集中している人だけの 特権

だとさえ思う。

 

 

“ 流れ ” を把握し、

“ 方向性 ” や その中で生じた変化を見失わないようにしながら

 

その中の 目的 や “ 段階 ” を明確にし、

物事の “ 全体 ” を把握しながら進む。

 

でもそれらに 拘泥することなく、

いい意味で、ぼやーっとした霧に包ませておいて、

「 今、目の前にある “ コレ ” に集中する 」を大事にする。

 

 

お裁縫に例えるとするならば、

 

ここを縫おうと、布に チャコペンで “ 線を引っ張り ” 、

何ヶ所か 通過点になる場所を “ マチ針で仮止め ” しておく。

 

そこまで出来たら、

あとは “ ひたすら縫う ” のみ!

 

と いったところだろうか。

 

ひたすら 縫い進めていけば

必ず、マチ針に行き当たる。

 

その度に、また新たな道が開かれ、

それを続けていくことで

完成形、つまり 自分の目指していた場所 に 辿り着けるのだと思う。

 

 

「 今 」に集中することを 日々続けるからこそ、

道がパッと開けたタイミングで

 

自分が進もうとしている まっすぐな道と、

今まで開拓してきた デコボコな道を

振り返ったとき、

 

「 よしよし、いい流れだぞ。

ちょっとずつ 近づいているぞ。」

 

と思える。

 

 

日々、「 今 」 に集中することを始めて

約4ヶ月。

 

道が、パッと 開けたのを感じた。

 

不思議な感覚だったが、

もし言葉で表現するならば

ほんとうに、

 

「 パッ!💡 」

 

だ。

 

今後 この感覚が

やみつきになっていくことだろう。

 

 

5年後、わたしは 27歳。

30歳を目前にしている自分を

想像することが 全く出来ないでいるが、

 

今と 同じようなパッションで

いられたらいいな と思う反面、

 

今の自分には、到底 想像すら させて貰えないような状態になっているのも、

面白いな とも思う。

 

 

「 5年後、10年後、

自分を取り巻く環境が どうなってしまっているのかが 怖い。」

 

と口にするのではなく、

 

「 5年後、10年後、

自分が どう進んでいるのかが 楽しみ。 」

 

と、いつまでも 言える自分でありたい。